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文春が発表した遺書の矛盾と本当の狙い

​1)

尾崎の死後20年にあたる2013年に文藝春秋が掲載した加賀という記者が尾崎繁美氏に取材した時に、尾崎の1人息子である裕哉氏が父の死を理解できるようになるまで公開しないでほしいと言われ、これまで存在を隠してきた尾崎が残した遺書の全文と題した記事を公開した。 

 

それらは尾崎が急死した直後に1度公表されており遺書を見つけた尾崎繁美氏の主張が全くの虚言であった事が確認されているイワく付きのものだった。

 

尾崎が遺書を残していたとする夫人側の主張を受け入れられない者の中には尾崎自身が書いたものではないのでないか? 筆跡鑑定をして尾崎が書いた遺書である事を証明しろといった声も上がった。

3)
結局、尾崎がいつ書いたのかさえ分からない遺書の存在を持ち出して尾崎の死を自殺であった事にしたい夫人らの思惑は的が外れたばかりか、全くの逆効果であったのは周知の事実だ。一体、尾崎死後直後に存在を否定されたはずの遺書 なるものを死後20年目に再度発表した意図はなんなのか。

 

文藝春秋が遺書全文を掲載した後に夫人が「遺書への返信」と題した手記を文藝春秋平成24年5月号に載せているが、そこにはとても興味深い内容が書かれている。

5)

尾崎が天使と呼んだ息子の尾崎 裕哉氏へ

 

母に父親は他殺だったのか尋ねる事はとても苦しくそして勇気が必要だったと思います。しかし、あなたも色々な情報に触れていたからこそ父親の急死への疑問というか漠然とした解せない思いがあったものと推察されます。

あなたは父親が書いたとする遺書全文を読んで本当に納得できましたか? 

​あなたの母親は明らかに事実とは異なった嘘を言っているのですよ?

 

 

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4)

それは尾崎の1人息子である裕哉氏とアメリカ旅行に行った時のエピソードだ。丁度、尾崎の遺書全文が文藝春秋に掲載された時期と重なり、夫人は遺書全文が掲載される事は全く知らなかったと前置きした上で、旅先で裕哉氏からパパは結局、他殺か自殺のどっちだったの?と聞かれ 恐れていた時が来たと、その時の心情を吐露。そして これを読んでみて。 私が伝えたかった事が全て書かれている と言って裕哉氏に文藝春秋に掲載された遺書全文の記事を見せたと告白している。そして読み終えた裕哉氏から「 ママも大変だったね 」と言われたという。

 

それを聞いた繁美夫人はこれで裕哉が父親の突然の死(自殺)を理解し受け入れる事ができたと記している。

 

実にこれこそが存在を否定されたはずの遺書を死後20年経って再度公表した本当の狙いではないか(注:この記事を書いたライターの加賀英孝氏は文藝春秋に掲載された後に、この記事は尾崎の家族に事前に了承を得たものではなく自ら勝手に書いたもので家族の意思とは関係がないと釈明の文面を春秋に発表した)

 

この繁美夫人の告白は見方によると父親の急死について夫人自身が裕哉氏からも関与を疑われているのではないかとの不安をずっと抱えていたとの仮説が成り立つ。

 

繁美夫人はそうした不安を払拭したいとの思いから文藝春秋が載せた本当は遺書ではないと分かっていた記事をわざわざ裕哉氏に見せた確信犯だ‼

​2)

夫人がどのようにして遺書を見つけたかについて語った内容は誰が聞いても虚言と分かるような稚拙なものだった。

 

また、それを書いたのが尾崎自身だったとしても死を覚悟していたとする自殺説の証明にはならない。

第一に2通あった遺書のうち1通は尾崎の実家の母親の仏前に置かれていたと主張。遺書を見つけた状況を次のように説明している。

 

尾崎の実家で父・健一氏と兄・康氏と3人で今後の対応などを話し合っていた時に健一氏が席を外した際(康氏と2人になった時)に康氏から『 親父にはまだ言ってないけど仏前でこんなものを見つけた 』と言われたと。

 

しかしこの内容は繫美夫人の作り話、デタラメであり康氏本人からも"そんな話しをした覚えはない"と完全に否定された

 

なぜ繁美夫人はそのような虚言を言ったのか? 

そもそも嘘をつく必要があったのか?

それはどのような理由からなのか?

 

 

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