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文藝春秋に掲載された遺書の嘘と本当の狙い

文藝春秋が載せた遺書の嘘と本当の狙い

尾崎の死後20年にあたる2013年に文藝春秋が掲載した加賀という記者が尾崎繁美氏に取材した時に、尾崎の1人息子である裕哉氏が父の死を理解できるようになるまでは公開しないでほしいと言われ、これまで存在を隠してきた尾崎が残した遺書の全文 題した記事を公開したが・・・

『 先立つ不幸をお許しください 』

この文面から始まる遺書の内容は、確かに尾崎にしか書けないと思わせる繊細さや寂しさや虚しさ、そして生きる事への苦悩から解放されたいと願う情念が表現されていて1つの文学作品とも思えるものであった。しかし仮にそれを書いたのが尾崎自身だったとしても死を事前から覚悟していたとする自殺説の証明にはならない。

 

まず第一に尾崎がいつ書いたものか断定することができない。

 

尾崎自身がそれまでに2度自殺未遂をしていると実兄に語っていた事を考えると自殺未遂をする前に尾崎自身が書いたものと考えるのが妥当ではないか?また夫人がどのようにして遺書を見つけたかについて話した内容は身内が聞いたらすぐに嘘と分かるような稚拙なものであった。その内容はまず2通あった遺書のうち1通は実家の母親の仏前に置かれていたと主張。遺書を見つけた状況を次のように説明している。

 

尾崎の実家で父・健一氏と兄・康氏と人で今後の対応などを話し合っていた時に健一氏が席を外した際(康氏と2人になった時)に康氏から『 親父にはまだ言ってないけど仏前でこんなものを見つけた 』と言われたと。しかしこの内容は繫美夫人の作り話、デタラメであり康氏本人からも"そんな話しをした覚えはない"と完全に否定された。

 

そしてもう1通は尾崎が普段から肌身離さず持ち歩いていて小峰宅で発見されていたセカンドバッグの中から見つかったと主張していたが、これもまた尾崎を保護した警察(千住警察署員)が所持品を保全していたが、そのようなものは入っていなかったと発表している。このケースの夫人の証言と警察の発表ではどちらに信ぴょう性があるかは明らかで、このように尾崎急死後の繁美夫人の言動を客観的にみると、おのずと夫人への疑問が浮かんでくる。 それは・・・

 

  • なぜ繁美夫人はそのような虚言を言ったのか? 

  • そもそも嘘をつく必要があったのか? 

  • それはどのような理由からなのか? 

結局、尾崎がいつ書いたのかさえ分からない遺書の存在を持ち出して尾崎の死を自殺であった事にしたい夫人らの思惑は的が外れたばかりか、全くの逆効果になったのは周知の事実だ。繰り返しになるが、なぜ事実と異なる事を言う必要があったのか? その真の狙いとは?!

 

どうしても尾崎の急死を世の中に自殺だったと

印象付けたい理由があったのは間違いない。

 

しかもそれを他殺説が浮上した後に主張した点も強引で辻褄が合わない道理とかけ離れた行為と言える。

繁美夫人は他殺説が浮上して疑惑の目を向けられた時に潔白であるならば何ら動じる必要は無かったはずなのに、わざわざ"自殺だった"とそれまで1度も訴えた事の無い説を主張し始めた事こそが繁美夫人が尾崎の急死に何らかの関与があった事を証明していると強く確信する。

 

しかし一方、このような疑惑がマスコミで報道されるようになった後でも繁美夫人はただの1度も警察から事情聴取される事はなかった。それはなぜか? その理由は単純で警察も上層部の指示で一方的に捜査を打ち切りにした経緯があるからだ。

 

確証も無いままに社会で興味本位で囁かれている説に迂闊に反応してしまうと却って墓穴を掘り捜査打ち切りの背景を追及されかねない。自分達が表向きには真摯に議論して出した結論(※事件性無しと判断・捜査を打ち切った)を撤回する事は警察の体面上、絶対に許されない。従って捜査打ち切りの真相は何があっても隠蔽し闇に葬る事だけを考えていたに違いない。

 

尾崎の実父尾崎健一氏が再捜査を求める嘆願署名運動を行い集まった10万人超の嘆願書を警視庁に提出した時にもそれは受理されず、その後もこの件で警察はただの一度も動いていない。ちなみに健一氏は、相談した弁護士から嘆願ではなく法的拘束力のある被疑者不詳での刑事告訴を勧められたが悩んだ末に敢えてそれを断り嘆願書提出にしたのだという。

 

では、他殺を疑っていたのに刑事告訴に踏み切らなかった大きな理由はなにか? それはまだ当時3歳にも満たない尾崎の1人息子裕哉氏に対する懸念があったからだとされている。

 

具体的には、もし被疑者不詳の刑事告訴を行った場合、実の母親である繫美夫人が逮捕されると確信していたからだといわれている。つまりそれは裕哉氏にとてつもない十字架(※父親の死に母親が関わっていた)を背負わせる事となる。この事実はあまりにも残酷で裕哉の将来を鑑みるとそれは不憫でならないと思ったとジャーナリスト(永島雪夫氏)から取材を受けた際に告白している。健一氏にとっても苦渋の選択であり刑事告訴断念は断腸の思いであっただろう。こうして刑事事件としての捜査の機会は永遠に失われてしまいそれが結果的に繁美夫人を助ける形となった。 

 

その事を多くの尾崎ファンは敏感に察知したからこそ尾崎の急死と死因に疑問を持ち、繁美夫人に疑惑の目を向ける者が多い。結局、一度は存在を否定されたはずの遺書なるものを死後20年目に再度発表した意図はなんなのか。

 

文藝春秋が遺書全文を掲載した後に夫人が遺書への返信と題した手記を文藝春秋平成24年5月号に載せているが、そこにはとても興味深い内容が書かれている。それは尾崎の1人息子である裕哉氏とアメリカ旅行に行った時のエピソードだ。丁度、尾崎の遺書全文が文藝春秋に掲載された時期と重なり、夫人は遺書全文が掲載される事は全く知らなかったと前置きした上で、旅先で裕哉氏から「パパは結局、他殺か自殺のどっちだったの?」と聞かれ "恐れていた時が来た"と、その時の心情を吐露。

 

 

そして「 これを読んでみて! 私が伝えたかった事が全て書かれている 」と言って裕哉氏に文藝春秋に掲載された遺書全文の記事を見せたと告白している。そして読み終えた裕哉氏から「 ママも大変だったね 」と言われたという。

 

それを聞いた繁美夫人は、『これで裕哉が父親の突然の死(自殺)を理解し受け入れる事ができた』と記している。

 

実はこれこそが存在を否定されたはずの遺書を死後20年経って再度公表した本当の狙いではないか?

 (※この記事を書いたライターの加賀英孝氏は文藝春秋に掲載された後に、この記事は尾崎の家族に事前に了承を得たものではなく自ら勝手に書いたもので家族の意思とは関係がないと釈明の文面を春秋に発表した)

 

この繁美夫人の告白は、見方によると父親の急死について夫人自身が裕哉氏からも関与を疑われているのではないか、との不安をずっと抱えていたと過程する事ができないか?繁美夫人はそうした不安を払拭したいとの思いから文藝春秋が載せた本当は遺書ではないと分かっていた記事をわざわざ裕哉氏に見せた確信犯だ

尾崎が天使と呼んだ息子の尾崎 裕哉

実母に父親は他殺だったのか尋ねる事はとても苦しくそして勇気が必要だったと思います。しかし、あなたも色々な情報に触れていたからこそ父親の急死への疑問というか漠然とした解せない思いがあったものと推察されます。

 

  • あなたは父親が書いたとする遺書全文を読んで本当に納得できましたか?

  • あなたの母親は明らかに事実とは異なる嘘を言っているのですよ?

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